VIVA!SACD

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SACDに特化した偏屈ブログ

ふかわ氏コラムに感じた世間とのハイレゾに対するズレ

先日、ふかわりょう氏のコラムを目にしました
 
 

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随分とツッコミどころが多いのですが・・
 
 
しかし、ふかわ氏を批判したいわけではありません。伝えたい事は「情報過多社会になってませんか?」という現代社会への問題提起であって、それは賛同できる内容でもあります。
「情報量の多さ」という点で「ハイレゾ」を例えにしたのだろうと思います。が、我々高音質好きからすると認識に「あれ?むしろ逆じゃね?」と思ってしまいます(LPとCDなんて特に・・)
 
SACDをはじめとした「ハイレゾ」はCDではカットされていた情報、それは「聴こえなかった音が聴こえる」のもありますが、単純にそうではありません。「聴こえなかった音」がドーンと大きく聴こえるなんてむしろ音楽性を台無しにしてしまいます(粗悪なリマスターCDでありました)。
小さな音が小さいままで聴こえる、大きくぼやけてた音の輪郭が鮮明に聴こえる、音の消え入る余韻、アーティストが実在するかの様な立体感、奥行、定位、わずかなニュアンスを聴き取る事でアーティストの伝えたかった事をより受容する事が出来、作品への感動が増す。
 
「情報過多社会」と言っても、偏りや偏見、差別、デマ、クレーム、そういったノイズや、情報を表面的に受け取り深い考察がないまま独り歩きする。大切な事がカットされてる・・「ノイズだらけのローレゾ社会」そんな気が私はします。
 
むしろノイズに悩まされない、事柄をより深く真剣に向き合う、本当の意味での「ハイレゾ社会」が望ましい。
 
 
 
 
このコラムで「ハイレゾに対する一般的な認識」がわかった気がします。DJ等音楽活動もしているふかわ氏でさえこういう認識なのです。
このズレを業界は考えないといけないと思います。そして「なんちゃってSACD」「なんちゃってハイレゾ」ではなく、本物を提供して頂きたい。そしてリスナーは正当な評価をして未来に繋げないといけない。
 
私の好きなオノセイゲン氏のコラムをどうぞ。マイルスSACDに関するコラムの引用ですが、全ての音楽に共通すると思います。
 
「マイルスをSACDで聴け!」。CDではいけないのか?まったくそんなことはありません。同じ音楽です。どう例えたら判りやすいでしょうか? 行きつけの寿司屋で目の前にポンと置かれた握りたての寿司を1~4秒以内に口に運ぶのと、友人とビール飲みながら話に夢中になっていて5分たってしまった。あるいは回転寿司で10周くらい廻った皿でも消費期限時間内なら同じく寿司です。その差とは「たったそれだけなの!?」とも「それは大変!」とも捉えられるのです。どちらでしょう?個人の価値観の違いです。味はどうでもいいからお腹いっぱい食べられれば幸せな人。どこかに「個人の歴史」と「記憶」のはなしがありましたが、味覚も聴覚も個人の経験値なのです。音や音楽はどうでもいい人。どうでもいい人は、マイルスなんか聴かなくていいんです。人生の時間の無駄です。だからできるなら、とりわけ初めてこれを聴く子供たちにこそ「マイルスをSACDで聴け!」なのです。「ソー・ホワット」のイントロのピアノ、ベースからリズムが刻まれ、キャノンボール・アダレイコルトレーン、そしてマイルスが、プファー、プファとリフが入ったところでもう鳥肌です。SACDでは演奏のディテイルが全部、聞き取れます。みなさまそれぞれに熱い想いがあると思いますので、あえて私ごときがマイルスについてこれ以上は述べられません。JT (オノ セイゲン)



SACD HYBRID はSACD層とCD層の2層式ディスクです。CD層は通常CD、PCで再生可能で、リッピングも出来ます。SACD層はSACDプレイヤーで再生する事でより高音質でお楽しみ頂けます。
 
SACDシングルレイヤーはSACD単層ディスクです。SACDプレイヤーでのみ再生が可能です。