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2023年クレンペラー没後50周年企画 クレンペラー唯一のザルツブルク音楽祭ライヴ 歴史の裏側が垣間見える貴重な記録

1947年ザルツブルク音楽祭ライヴ
オットー・クレンペラーウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

タワーレコード

 

    
Otto Klemperer Film Foundation

当ディスクは、1973年7月6日に世を去ったクレンペラーの、没後50年の記念として企画。1947年8月24日、ザルツブルクの祝祭劇場でウィーン・フィルを指揮したコンサートを収録したもので、これがクレンペラー唯一のザルツブルク音楽祭への出演。音源はオーストリア放送協会(ORF)の資料館で最近発見され、スウェーデン放送のトランスクリプション・ディスク(放送用音源)を使用しリリースされます。これまでに、パーセル組曲「妖精の女王」は発売されていましたが、その他の音源は初出となり、コンサート・プログラムすべてを聴くことができる、貴重な盤となります。

2020年に創立100周年を迎えたザルツブルク音楽祭ですが、その歴史は戦争の影が色濃く残ります。1938年オーストリアナチス・ドイツに併合され、反ナチやユダヤ系の音楽家たちは一掃されてしまいます。逆に戦後は、戦中に活躍した芸術家が活動停止処分を受け、戦争の爪痕も残る中、1945年8月12日に音楽祭は開催。そして1947年からはフルトヴェングラーベームクレンペラーが活動を再開、当演奏会の記録は戦前の活況を取り戻してきたそんな中開催されたものでした。特に演目には、クレンペラーが自らを導いてくれる人として生涯尊敬し、ナチ政権下で、禁じられていたユダヤ系の大作曲家マーラー交響曲第4番をメイン・プログラムとし、パーセル組曲「妖精の女王」、アメリカ人作曲家のロイ・ハリスの交響曲第3番を演奏し、戦後を強く意識した内容となっています。

1947年のクレンペラーは、アメリカへの亡命以降、2度目の欧州ツアーのために渡欧。8月にはこのザルツブルク音楽祭に出演しオーケストラ・コンサートと《フィガロの結婚》を指揮、その後ウィーン国立歌劇場で《ドン・ジョヴァンニ》を指揮、そしてブダペスト国立歌劇場音楽監督に就任し、12月にはコンセルトヘボウ管弦楽団に客演と多忙を極めていました。しかしその中でも、このザルツブルク音楽祭はこの年のハイライトであり、またその裏側にもドラマがありました。当時まだ知名度の低かったオーストリア人作曲家、ゴットフリート・フォン・アイネム(1918~1996)の新作オペラ《ダントンの死》がクレンペラーの手でザルツブルク音楽祭にて世界初演されるはずでした。しかしクレンペラーは一度は引き受けたものの、興味を失ってしまい指揮をキャンセルします。この件が
原因で以後クレンペラーザルツブルク音楽祭への出演機会がなくなってしまいます。一方、代役とし登場したフリッチャイが指揮者として有名になる機会を得たというのも事実です。

一つの演奏会から歴史の裏側が見て取れる、非常に興味深い内容となっています。
キングインターナショナル

【曲目】
[Disc1]
1. ラジオ・アナウンス

ヘンリー・パーセル(1659~1695):
2. 組曲「妖精の女王」(ハロルド・バーンズ編)

ロイ・ハリス(1898~1979):
3. 交響曲第3番(1939)

[Disc2]
グスタフ・マーラー(1860~1911):
交響曲第4番ト長調
1. 第1楽章:中庸の速さで、速すぎずに
2. 第2楽章:落ち着いたテンポで、慌ただしくなく
3. 第3楽章:静かに、少しゆるやかに
4. 第4楽章:非常にここちよく
ヒルデ・ギューデン(ソプラノ)

5. ラジオ・アナウンス

【演奏】
オットー・クレンペラー(指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

【録音】
1947年8月24日
ザルツブルク音楽祭
ライヴ

リストア&リマスタリング:
ボリス・ボレス・オーディオ&ミュージック・プロダクション、デトモルト

 

 

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