VIVA!SACD

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SACDに特化した偏屈ブログ

鑑賞感想記 セイゲンオノ「COMME des GARÇONS」「CDG Fragmentation」「メモリーズ・オブ・プリミティヴ・マン」

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COMME des GARCONS SEIGEN ONO Seigen Ono

 

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タワーレコード

「COMME des GARÇONS」私には全く縁の無い、高級ブランド。こんなとこ買いに行くのに着ていく服がない・・このアルバムはデザイナーの川久保玲オノセイゲン

"洋服が綺麗に見えて誰も聴いたことがない音楽を"と依頼した、ショーのための音楽。

 

「気取ったブランドのショー音楽?BGM?退屈な環境音楽?」そう思っていました。

88年、89年にリリースされた2作品(今回2枚組)の30周年記念盤。

オノセイゲンは優れた録音・マスタリング・エンジニアで、DSDにいち早く注目し、第一人者として世界的活躍で評価を得る人、私も彼の録音やマスタリングのファンでしたので、せっかくSACDで出るし、応援買いのつもりで購入。

 

30年前の作品とは思えない、全く新鮮なサウンド。80年代の音楽はリアルタイムで聴いてた人ならいいにしても、今聴くとちょっと小恥ずかしく感じる「時代」を感じさせる物が多かったりしますが・・これは違う。他のブログの引用になりますが

当時最先端だったもののほとんどは色あせてしまった。セピア色の懐メロであり、当時の自分を思い返すフックとなるものだ。しかしオノ セイゲンの「COMME des GARCONS」は、常に最先端であり続け、同時にクラシックでもある。これは奇跡のようなことだ。

shikki.blog66.fc2.com

↑のブログは今から10年前の記事ですが、やはり今も”最先端”のサウンド。この一文には激しく同意します。

音もびっくりする程良い。これを聴いた後だと、他のアルバムがつまらなく聴こえてしまい、リハビリが必要な程。

私が普段好む音楽とは全然違う。もしかしたら、10年前だとこの凄さはまだ理解出来なかったかも知れない。いや、20数年前のメタル兄ちゃんだった頃から、こんな音楽にハマる様になるなんて信じられない。私の感性はまだ進歩している、そう思わせてくれる。まだまだ止まりたくない、凄い音楽は世界にはあるんだ。参加アーティストも全く知らなかったので、そこからまた世界が広がりそうだ。

 

ジャンルは?と問われると難しい。「オノセイゲン」としか答えようがない。

そのジャンルレス、ボーダーレスが彼の音楽の評価の妨げになってるのではないかな?

「ジャズ」と言われればジャズファンは買うし、「プログレ」と言われればプログレファンは買う。歴史的名盤でありながら、一般的には知名度が高いわけじゃない。

「凄い音楽があるから聴いてみて」そうおススメしたい。その思いから

Twitterで「購入者にはAmazonポイント1000円プレゼント」企画を行った。

企画賛同者は2人だけでしたが、、0が2になっただけでも良かった。またこの拙いブログ記事を切っ掛けに、聴いてくれる人がいれば幸い。

オノセイゲンのファンでCDでこの作品を聴いてる方も多いでしょう。SACD層のみモノラル・バージョンが収録されてますが、それもまた良い。SACDで聴く事を強く強くお勧めしたい。

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CDG Fragmentation Seigen Ono

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タワーレコード

COMME des GARÇONSと同時リリースされた未発表曲集。「断片」と名付けられたこのアルバム。COMME des GARÇONSに脳をやられてしまったので購入。

「これよくメジャー(日本コロムビア)が出したな!」と思った実験音楽。なんせ1~6は音楽ではない。たまげた。でもそれがまた心地よくカッコいい。オノセイゲンにやられてしまった。規制が必要なほどの危険性。

そして7~14がまた凄い。コントラバス奏者のパール・アレキサンダー参加の曲なんてもう・・音は史上最高に良いのではないだろうか。もっとデカいスピーカーで、音響の良い部屋で聴いたら失禁するんじゃないか、失禁する程良い環境で聴いてみたい。もっとオーディオに金掛けよう。「物が売れない」世の中、こういう本物の良い物が物欲を刺激する。

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モリーズ・オブ・プリミティヴ・マン Seigen Ono 、 パール・アレキサンダー

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タワーレコード

 

オノセイゲンとパール・アレキサンダーの連名作品。2015年リリース。

以前から気になって、試聴を繰り返すも「ん~よーわからん」で尻込みしてた作品ですが、すっかりハマってしまったので購入。冒頭30秒の試聴なんかじゃわかるわけがない世界。環境音楽とも言える内容で、COMME des GARÇONSを彷彿とさせる靴の音やジャングルでのフィールド録音音源が使用されている。「原始人の記憶」と題される様に、DNAレベルでの懐かしさと新しさ。夜のとばり、薄っすらとランプ(焚火ならより良い)に聴きたい作品。癖になり何度も聴きたくなる。これも強くお勧めしたい。

 

CDG Fragmentationとメモリーズ・オブ・プリミティヴ・マンはちょっと難易度が高いかも知れない。いきなりそれらを勧めないが

アット・ザ・ブルーノート・トウキョウ

アット・ザ・ブルーノート・トウキョウ

 

 オノセイゲン初心者にはこれがいいかも。管楽器の音がこれほどリアルに気持ちよく聴けるアルバムはそう無いだろう。私もまだまだ駆け出しのオノセイゲン・ファン。もっとオノセイゲンの音楽を聴きたい、勿論SACDで。

今回取りあげた作品をもっと掘り下げて聴いて、またその感想を書きたいなと思います。

 以下オノセイゲンのインタビュー記事引用。DSDSACDについて語る

 オノ:そもそも録音の目的とは、距離や時間をとび超えて「そこに行けなかった、実際には体験できなかった音を、あたかも自分がそこで体験しているように聴ける」ということだと思うんです。タイムマシーンですね。でもCDでは、そこまでのリアリティはなかった。それはまず、CDとDSDでは情報量が違うからです。情報量が少なくても、何を演奏しているかは分かります。でも、その演奏に込められた想いまで伝わりにくい。PCMでは、サンプリングレートやビットレートを上げれば時間軸は細かくなりますが、ダイナミックレンジは音量に依存して、PCMでは音量の小さな部分ではビットレートが落ちてしまうから確保できない。しかしDSDではレベルの高いところも低いところも同じレゾリューションで記録できます。シンフォニーで第3楽章アダージョ、などもっとも美しい部分が、PCMでは致命的です。DSDでようやく音楽の要である休符や、美しい弱音なども「そのまま」収録できるのです。
-- つまり、譜面として書き起こせるようなものよりももっと深いところにある“音楽”を収録できるんですね。CDは「知る」ことしかできませんが、DSDは「体験」できる、という感じでしょうか。
オノ:そうですね。楽譜とは、時間軸に楽譜上の音の高さとダイナミックレンジが書かれたデジタルデータと言えますが、演奏にはそれ以上の意味、つまり - 表情、感情がこもっているでしょう。DSDでは、それがありありと感じられるのがいいと思うんです。音楽は、良い音で聴いてこそ「体験」できるのだと思います。(DSDの素晴らしさは音楽が好きな人ほどかわるものー2011年)

DSDはとにかく正確な波形とレゾリューション(解像度)の世界です。PCM対DSDという話ではなくて、もちろん好き嫌いの話でもなくて、原音通り、正確な音、正確な波形と言ったときはDSDです。(2014年Facebook

とにかくPro Tools時代からはスリルとか緊張感のない現場になって、個人的につまらなくなっちゃったんですが、そういった刺激が残っていたのがDSDSACDといった新しい技術でした。テープレコーダーって録音する前の音と、それ録音して再生した音って同じわけがないんですよ。アナログのテープは、再生したときにかっこいい音にならないといけないでしょ。そうするとテープで高域が鈍るんだったら、歪まないギリギリ高域を少し多めに入れておくとか、仕上がりを目指して作るわけですが、DSDだけはミキシングコンソールで聞いている通りの音が再生できるんですよ。(2019年サイデラ・パラディソ)

 

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